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 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
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古舘君、ど~もです

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 8日(月)11時25分9秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  確かに昭和は良い時代だったのかも知れません。

平成は地価高騰やバブル経済に始まり、
パソコンやインターネットの普及に追いまくられ、
人々が変化や情報に踊らされていたように感じます。

今はその思い出の木造アパートは解体され、
広い駐車場を持つセブンイレブンになってます。


>「彼氏へのサプライズ」と推測する所

彼女の両手が前に大きく開かれ、
待ちわびた人を全身で迎えるような姿だったので・・・(゚o゚;サプライズ

 
 

思い出

 投稿者:中村豊藏  投稿日:2019年 7月 8日(月)10時51分51秒 p1179083-ipbf411marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
  そういえば、高校1年生からイトーヨーカ堂でアルバイトをしていて、そこで知り合った静岡物産展の方に誘われ、土日は、渡辺君と2人、物産のアルバイトで学校を休んだり、早引きしたりして、行っていました。卒業後は、その仕事に付き、関東中のヨーカ堂に2人で任され、走り回っていました。その当時は、あちこち行けて、楽しかったです。そういえば、松本君や仁藤君もお手伝いして頂きました。個人的には、高1から付き合っていた、彼女と20歳の時に、結婚し、40年、女の子が3人生まれ、今では、みんな結婚し、5人の孫に囲まれております。以上今日は、ここまで!  

素敵な思い出ですね

 投稿者:古舘  投稿日:2019年 7月 7日(日)21時08分37秒 p6e42da8b.tkyea128.ap.so-net.ne.jp
  とても素敵な体験でしたね。
「彼氏へのサプライズ」と推測する所は当時から大人だったのですね。
当時の私なら・・・?????ですよ。
昭和は(ある意味)良い時代でしたね。
 

バイトの思い出(その6)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 6日(土)09時51分11秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  朝刊の配達の際に、人と関わる事はまず無い。
時々飼い犬に絡まれる事があったり、
他の会社の新聞配達人とすれ違うくらいだ。

集金が業務に加わると、町の景色が変わって見えた。
そこには色んな人達が生きていた。

あるアパートの一室のドアをノックした。

そこは木造の古いアパートで、
玄関で靴を脱いで上がると、
廊下の両側にドアが並んでいる。
インターホンやチャイムは無い。

「居留守かな?」
室内に人の気配は感じなかったがそう思った。
間をおいて、もう一度ドアをノックした。

次の瞬間、勢い良くドアが開いた。
そのドアの先に見えたのは、全裸の若い女だった。
呆然とする私の前でドアは閉まっていた。
わずか0.5秒程の事だったと思う。

一瞬目の前に立った女は、一糸纏わぬ姿だった。
何が何だか判らなかったが、綺麗な人だったと思う。
彼女の表情を読み取る時間も、余裕も無かった。

きっと、待ちわびる彼氏へのサプライズだったのだろう。
しかし、ノックしたのは彼氏では無く私だったという落ち。
私にとっても大きなサプライズだった。

 

バイトの思い出(その5)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 3日(水)15時41分28秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  しばらくして「集金業務」が加わった。
集金は専売所の親父さんの仕事だったが、
私にも任せられると思ってくれた事が嬉しかった。

1件の集金で60円の手間賃、
それが私のバイト代に加わる事になる。
500件の集金が上手く行けば、
手取りは1.5倍の90,000円になると思った。

学校の休みを利用して集金に回った。
しかし、集金は思った以上に手間取った。

当時の朝刊購読料は2,500円だったと記憶する。
集金に行くと不在の家が多かった。
居留守を使われる事も有った。

旦那さんが出てきて
「今、女房が居ないから、また来て」と、
簡単に言われる事も多かった。

当然の事、声に出しては言えないが
「いい歳こいて、奥さんが居ないと新聞代も払えないのか」と、
自分の仕事が下に見られた用に思えて癪に障った。

一言「悪かったねぇ~」と言ってくれれば良いのに、
こんな時には、自分ならそう言おうと思った。

集金と言う仕事は、想像以上に大変だった。
思った以上に領収書の束は減ってくれなかった。

集金が一番大事な仕事だと言う事を、身を持って学んだ。

 

自作スピーカーの話

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 1日(月)18時28分33秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  オタク談義に付いて来られない方には恐縮ですが、
石川君の投稿につられ、私の青春の記憶が蘇りました。

高校2年の夏、当事人気だった「長岡式バックロードホーン」
私もそのスピーカー自作作業に挑戦していました。

私の作ったスピーカーは、もう手元に残って無いけど、
石川君のライブラリーは、是非拝見したいです。

川高正門の坂を下った先の高野材木さんで24mm厚のコンパネを買い、
台車を借りて工作室まで運び、大汗かいて手鋸で切断し組み上げ
コーラルのフルレンジスピーカーで鳴らしました。

そしてこの話は次の連載「文化祭の思い出」に続く予定です。

乞うご期待! なんちゃってネ!

http://blog.ontomo-shop.com/?eid=11

 

返事ありがとう

 投稿者:石川  投稿日:2019年 7月 1日(月)18時03分5秒 127.208.49.163.rev.vmobile.jp
  オープンリールは、TEACです。兄にそそのかされて音が良いからとオープンリールを買ったけど、カセットデッキが直ぐに欲しくなりました。その点、生録の王道のカセットデンスケは、いい選択をしましたね。良いものは買えなかったけど、随分買い替えたな。今だに、スピーカーは自作の箱のものを使っています。安いユニットばかりですが、5セットあります。置き場所がないので隅っこ追いやってあますが、今度並べて写真でもアップしようかな?  

石川君のタイムカプセル

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 1日(月)12時00分47秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  私が見ても懐かしいオーディオの写真ですね。

オープンリールはTEACでしょうか?
スパイ大作戦の指令基地みたいで憧れますね。(笑)


私の場合は生禄やエアチェックに凝ってましたから、
愛機はSONYのTC-2860SD、通称カセットデンスケでした。

ワンポイントステレオマイク SONY ECM-99Aを繋げて、
夏のせみ、秋の虫、そして日常の音を拾ってました。

就学旅行に担いで行ったのを覚えてる方はいますか?
探せば当事の音源がどこかに有るかもしれません。

私のニックネーム「でんすけ」はここに始まりました。
 

自分も昔話をすこし。

 投稿者:石川  投稿日:2019年 6月30日(日)22時43分15秒 c106046.net11093.cablenet.ne.jp
  投稿、楽しく拝読しています。
荒井さんの新聞配達のアルバイトは、意外でした。
自分も2年程ゴルフ練習場でバイトをしてました。自分の場合は、これが買いたいとか目的も無く兄の影響で、何となく高校生になったらバイトするもんだと思ってやってました。3年生となり、受験に専念する名目でバイトは辞めました。貯めたバイトの金でオーディオ機器を買いました。レコードはあんまり買えず、貸レコードのお世話になりました。趣味はレコード鑑賞なんて書いてましたが、今も図書館でCDを借りてます。その当時の写真を一枚!
 

42年の人生に価値あり

 投稿者:中村豊蔵  投稿日:2019年 6月29日(土)17時20分15秒 sp49-97-97-19.msc.spmode.ne.jp
  たぶん、一人ひとりが人に言えない、苦労をした人もいるだろうし、言いづらいかもしれないけど、大変な時の話しの方がみんなも励みになると思う。そんな話しができればなぁ。と想います。  

八ヶ岳の別荘

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月29日(土)09時55分17秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  伊豆高原の次は八ヶ岳高原での同窓会
、、、なんて、冗談です。σ(^_^)」


「高校時代は自分を中心に世界が回ってた」
というか、
自分を中心にしないと物事が考えられなかった。

当時はそんな付き合い方しか出来なかった同窓生なのに、
今になって改めて思う事は、
同じ時代を生きてくれた事対しての感謝。

>42年の歳月はまだまだ、語り切れないぞ!

大いに楽しみにしてますヨ!

https://www.yatsugatake.co.jp/sale/wp/estate/1544

 

荒井君と古舘君

 投稿者:中村 豊蔵  投稿日:2019年 6月28日(金)22時23分10秒 M014008001192.v4.enabler.ne.jp
  還暦同窓会も、無事終わり、良い思い出つくりが出来ました。改めて、ご苦労いただいた方々、御礼申し上げます。有り難うございました。思い出した様に掲示板を開けてみて荒井君と古舘君の会話にビックリです。私も会社の役務で八ヶ岳の別荘を管理しております。新緑まぶしい。4月に、。泊まりで掃除に行き山開きをし、11月には、また掃除をして、別荘も山籠もりに入ります。社員も半年間、涼しい八ヶ岳を満喫して、鋭気を養い、1年間頑張っていると思うと掃除も頑張れます。でも一番いい時期に行っているのは、実は掃除の人達です。4月の八ヶ岳、富士山の雪の山肌は圧巻です。年齢を重ねていくと、感じるものが変わってきますね。それでは、この辺でまた報告致します。42年の歳月はまだまだ、語り切れないぞ!  

バイトの思い出(その4)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月28日(金)18時15分34秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  バイト代は1ヶ月120円だったと記憶している。

1件の家を朝刊のみ、1ヶ月間配達して120円だ。
つまり100件配達すればバイト代は12,000円で、
500件なら60,000円のバイト代が貰えた。

一日の労働は朝4時半から7時まで、
実働2時間半と考えると時給は800円程。
学生としては悪くない金額だったと思う。

午前7時に家に戻り、お袋の作った朝飯を食べ
お袋の作った弁当を持って学校に向かった。

頭にあるのは欲しいバイクの夢ばかり。
そんな親不孝者が働くのを、お袋は喜んでくれていた。

父や母の誕生日くらいは、
何かプレゼントしてあげたら良かったのに。
今になってそう思う。

「後悔先に立たず」
「孝行したい時に親はなし」

バイト中は夜更かしもせず、夜遊びもせず、
夜の9時過ぎには寝床に入る生活だったのが、
ささやかな親孝行だったと思う。


 

古舘君、青春してるね。

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月26日(水)13時28分52秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  ときがわでの地域支援活動、素晴らしいですね。

「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。」
サムエル・ウルマンの「青春」の一節を思い出しました。


私の場合、高校卒業後もユースホステルには縁があり
秩父YHのペアレントを勤められた高橋夫妻との交流は続きました。

今では年賀状のやり取りのみになってしまいましたが、
子供達を交えての川遊びや流しそうめん、懐かしい思い出です。

高橋さんは現在「秩父ふるさと館」の館長をされておられます。


また父親が住宅設備関係の仕事をしていたので、
小遣い稼ぎのアルバイトは小学校の頃からやりました。

子供心に「大人には負けない」と言う意識が強く、
褒められると頑張って走り回っていた事も思い出しました。


↓下の写真は20歳の私と高橋夫妻、秩父YHに集った仲間です

http://www.city.chichibu.lg.jp/6018.html

 

昭和の高校生の生活を今に伝える文化的にも貴重な文章(資料)ですね!

 投稿者:古館  投稿日:2019年 6月25日(火)22時49分39秒 p784a4b8f.tkyea128.ap.so-net.ne.jp
  しばらく訪れていなかったら荒井君の青春の一頁が載っていて、チョット意外でした。認識を誤っていたかもしれません。荒井君はお坊ちゃんで、YHで甘酸っぱい楽しい事ばかりやっていたのかと思っていました。
話は若干逸れるかもしれませんが、若者や子供の労働生産性について思い浮かんだので一言。NPOの活動にも、おばあちゃんが孫を連れて参加したりします。丁度、森の植林の時でした。小学生低学年くらいの子だったのですが、この子が役に立つ事!大人(略じじい)顔負けどころか完敗です。穴を掘って植えたり、目印の竿を立ててリボンを結んだりは大人がやりましたが、物資の供給が滞らなかったのは彼のおかげでした。「○○君、こっちに苗5本持ってきて!」「目印の竿4本頼む!」といったオーダーに滞りなく応えてくれたのです。両手に物資を抱えて、手を使う事も出来ないのに急な斜面を難なく行き来したのです。そのおかげで午後いっぱい掛ると想定していた植林が午前中で終わってしまいました。僕たちはもちろん助かりましたが、彼にとっても良い体験になったと思うのです。
大人と一緒になって作業して、自分に出来ること、経験者に任せること、そして場数を踏めば自分も経験者になれることを肌で感じる事って大切じゃないかなと。
発展途上国が伸びるのは、こうした若い生産性をうまく使っているからではないのかな?かつての日本のように・・・。
今の子はお金の掛るやりたい事の為にアルバイトしようと思おうものなら、親から「そんな暇があったら塾に行って勉強しろ!」て言われちゃうんじゃないですかね。
ここからは宣伝です。
ときがわ山の学校 自然体験支援活動 8月3日(土)9:30~15:00 たまがわ新玉川橋
子どもたちの自然体験や生活体験などを行う「ときがわ山の学校」。今年度も埼玉労働福祉協議会親子キャンプを受け入れ支援します。川遊びや流しそうめん等をサポートする予定です。
*前日2日(金)に流しそうめんの準備等行います。集合場所・時間 3日と同じ
https://taggucchi.wixsite.com/tokigawa-yamazato
興味のあるかたは是非!話の繋がりでこの活動を載せましたが毎週色々やってますので、そちらも良かったら!
 

バイトの思い出(その3)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月24日(月)11時42分23秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  始めから500件ものお客を任されていた訳ではない。
100件ほどから徐々に件数を増やして行き、
自転車での配達からバイクでの配達へと変わった。

配達の部数が徐々に増えるに従って、
私に課せられる責任も増えていく事を実感した。

私以外に若い学生アルバイトは勤めてなかった。
社員なのかアルバイトなのか判らなかったけど、
他の人達は、少々癖のある年配者が多かった。

月曜日は時間になっても出勤してこない輩もいた。
たぶん、日曜日にギャンブルで負けたか遊びすぎ、
羽目を外し、飲みすぎて欠勤したものと思われる。

「月曜は折込が無いから、休んでも良いだろう」
そんな声が聞こえた訳では無かったが、
彼の行動から無責任な気持ちが伝わってきた。

しかし、そんな時は店主である親父さんの本領発揮である。
普段は配達をしない親父さんであったが、
当然、全てのお客さんを把握していた。

誰かの欠勤があった日の親父さんは、
文句を言いながらも何故か生き生きとしていた。
そんな親父さんが「カッコイイ」と思えた。

 

バイトの思い出(その2)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月22日(土)10時07分29秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  週の内、月曜日は折込チラシが無かった為
その日の配達仕事は比較的楽だった。

当時、私が勤めていた専売所には、
自動で本誌にチラシを折り込む機械が無かったので
原則、自分で配達する分の新聞には
手作業で必要数のチラシを折り込む。

折込に要する時間も必要だったが、
積込みも結構な作業だった事を覚えている。

バイクの荷台には、チラシを含んで太った本誌を縛り、
バイクの前かごには、経済新聞や○○産業新聞、
スポーツ新聞やこども新聞やらを詰め込んだ。

チラシの多くなる週末はさらに大変で、
下手をすると荷崩れした本誌が落ちてしまうので、
一日の配達分を2回に分けて配達したりもした。

それでも決められた午前7時がタイムリミット、
それを過ぎると親父さんに叱られ罰金を取られた。

お客さんからの専売所に電話が入り、
「新聞が入って無かった」と言われた事もあった。
その家に再配達に向かい、間違いなく届けた事を確信する。

通りがかりの何者かが抜いたに違いない。
そんな悔しい思いも何度か味わった。

 

バイトの思い出(その1)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月20日(木)12時54分5秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  私が朝日新聞の西川口専売所に通い、
新聞配達のアルバイトをしていたのは、
高校一年生の中頃から一年間ほどだったと思う。

バイト先に朝日新聞を選んだのは、
自宅が朝日新聞を取っていた事が理由だったが、
やがてその選択が誤りだった事に気がつく。
読売新聞に比べてお客の少ない朝日新聞だったため、
同じ件数を配るために、
より広い地域を回らなくてはならなかった。

朝4時に起き、簡単に身支度を済ませ急いで出掛ける。
専売所に着いてからは本誌へチラシの折り込み、
それらをスーパーカブの前かごと荷台に縛り付け、
戸建住宅を中心に500件程の配達をしていた。

配達に伴い徐々に新聞が少なくなってきても、
新聞が緩まず、縛りなおしが少なくすむように、
荷台への縛り方にはコツがあった。

バイクを買うために始めたバイトだが、
バイクに乗れるのが楽しくもあった。

雨の日の配達はとても辛く、半べそをかきながら配った。
時折ある、濡れずにすむマンションでの配達が嬉しかった。
水溜りに滑って転倒、何枚かの新聞を駄目にし、
不足分の新聞を駅の売店で買い足した事もあった。
濡れてもお構い無しの牛乳配達の親父が羨ましかった。
 

感じ方はそれぞれですが、

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 6月18日(火)13時57分56秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  私と古ちゃんが同性愛に目覚め、カミングアウトしたと思われたかな?(笑)

ごめん、古館君の指すビデオがどの部分なのか私には判りませんでした。

私が高校の時は学校の中で目的意識が持てず、アルバイトに集中してました。
運動部に入って、グラウンドや体育館で汗を流す奴らを羨ましく思う事もありました。
自分の家が貧しくて、バイトで家計を助けていた訳では有りません。


バイトで稼いだ金でバイクを買って、遊びに出かけ乗り回すという単純な目的で、
朝は4時起きして新聞配達、放課後は零細工場でのプラスチック加工をしてました。

工場では「蹴っ飛ばし」と呼ばれる機械に指を挟まれ、怪我する奴もいましたし、
女子高から通ってた娘と仲良くなって、デートに誘ったりした事もありました。

「あの頃の俺は何をやってたんだと」思い返して、自分が情け無くなる事もありますが、
その時の「手段」が「目的」に重なり、楽しかった思い出の一つとなってます。

最近の若者は車やバイクを欲しがらないと言うけど、それは巷に楽しい物があふれたせいで、
それらに誘惑される要素が拡大し、それらの種類が増えた為だとも思います。

硬派な古館君と違って、軟派で浮気者な生き方をする私ですから、
私が今の時代の高校生だったら、古館君とは別の種類の不登校になってたかもしれない。。。(爆)
 

僕も愛してますよ!

 投稿者:古舘  投稿日:2019年 6月16日(日)22時34分17秒 pb6ab14fc.tkyea128.ap.so-net.ne.jp
  荒井君優しいな・・・ごめんなさい。
荒井君の書き込み内容は世間一般の中で当たり前の事です。
僕は川高HPを見て衝撃を受けてしまって「何かに反発せずにはいられない」状態になってしまったのです。
それで言葉遊びをしてしまいました。
僕が通っていた川高が、あのプロモーションビデオのような学校だったら、ぜったい不登校になってただろうな。
 

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