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>クラス会のおかげです

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月24日(水)09時37分14秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  しばらく会ってない同窓生にも、
次回は参加して貰いたいですね。

 
 

渡辺君に再会

 投稿者:石川  投稿日:2019年 7月20日(土)19時27分35秒 c106046.net11093.cablenet.ne.jp
  本日、中学の同級生とゴルフに出掛け、栃木県のゴルフ場で渡辺君と再会しました。南栃木カントリークラブは渡辺君が会員となっているゴルフ場でした。
こんな出会いを経験出来るのも、5月のクラス会のおかげです。幹事の皆様、改めてお礼申し上げます。
 

皆さんも当時を思い出して!

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月16日(火)15時52分36秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  文化祭にまつわる思い出のほか、
バイトの思い出、趣味の思い出
何でも結構ですので、投稿をお願いします。


一番下の写真は、川口女子高の文化祭に乱入し、
YH倶楽部で「集団遊び」を実施してる様子です。

小さなお子さん達も参加してくれて、
楽しく盛り上がったと記憶してます。

 

石川君、ど~もです!

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月16日(火)15時38分59秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  色んな物が出てきて、当分ネタは尽きません。

新聞配達のバイトをする前に、
近所の工場での金属加工のバイトをしてました。

その時の給与明細が出て来たんですけど、
時給はたったの300円だったので驚きました。


川高3年の文化祭のガイドブックも出て来ました。
甘酸っぱい思い出の「ペアナンバー」覚えてますか?

映画&スライド「デンスケ一座」、
金子、澤田、靖久、塩山、そして○○ちゃんを巻き込んで
製作段階からの色んな事が思い出されます。

それらは又改めて、長編「文化祭の思い出」にて、、、


 

学生証あるんだ?

 投稿者:石川  投稿日:2019年 7月16日(火)12時29分39秒 20.230.214.202.rev.vmobile.jp
  いやー、レトロな写真のアップありがとうございます。
学生証って、写真付きだったんだ。全然記憶にありません。次のタイムカプセルを期待しています。
 

タイムカプセル(その2)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月16日(火)11時18分42秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  毎週のように旧宅の片づけをしていますが、
懐かしい物が沢山出てきてはかどりません。

昨日も高校時代の写真や手紙を見つけました。

中学の時に坊主頭だった反動から、
高校時代は長髪でした。

野口君や誉田君と一緒に撮った写真、
どこで撮影したのか覚えていません。

金子と一緒の写真に写ってるのは
誰だったでしょうか?

次回の同窓会には、是非ともみんなで
懐かしい写真や思い出の品を持ち寄りましょう、、、


 

タイムカプセル

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月15日(月)20時09分51秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  皆さんの親御さんはご健在ですか?

私は昨年の2月に母を亡くしました。

「今日は食が進まないなぁ」と思いながらも、
何時ものように母に夕食を与え、片づけを済ませた後、
テレビから流れる平昌オリンピックの開会式を見てました。

ふと母に目を向けると、目を見開き心停止となっておりました。
救急車を呼び、隊員が来るまで心臓マッサージを続けました。

救急隊員による気管内挿管による緊急蘇生を行い、
たなたま父の入院する病院へと搬送されましたが、
翌日、4人の子供達に見守られる中で死亡宣告されました。

死因は大動脈乖離、86歳でした。


母を追うように父が亡くなったのは11月でした。

脳梗塞と心不全で、入退院を繰り返していた父でしたが、
6月に転倒による硬膜下血腫、8月の手術の後に衰弱が始まり、
転院先の病院で亡くなった時は91歳でした。


両親と同居を始めたのは8年前からでした。
母の認知症と足腰が弱って来た事がその理由です。
今年に入ってから、同居前の旧宅の片づけを始めました。

8年間人が住んでいなかった旧宅です。
年に一度、正月に子や孫達が集まる時だけ掃除をしてましたが、
それは一階の広間だけでしたから、2階は時が止まった状態です。

私が高校時代に過ごした部屋は、40年以上の時が過ぎ、
まるでタイムカプセルのようです。

 

鄧小平と言えば

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月12日(金)13時57分40秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  中国からホームステイに来た女性、
彼女の事も印象深く覚えています。

彼女は我々より少し上の年代で、
母国に娘を持つ、日本語教師だったと記憶します。

当事の我が家には、年少の長女と長男が居ました。
その二人を我が子のように可愛がってくれたのです。

理由は中国の「一人っ子政策」にあったようで、
仲良く自由に育つ姉と弟を見て、感慨深く感じたのでしょう。

帰国後も何度か手紙のやりとりをしましたが、
行間から日本の生活を羨む内容も感じ取られました。


時代は移り、現在の西川口周辺は
チャイナタウンと呼べる程の環境になっております。

分譲される新築戸建を購入するのは中国人が多く、
その表札から、夫婦別姓の文化も感じ取れます。

小さな子供連れの家族は殆どが中国人で、
親は中国語で叱り、子供達は日本語で謝ります。

毎日決まった時間に孫を散歩させる老夫婦は、
片言の日本語すらまだ話せないようです。


私の生まれ育ったこの町に、
新しい文化が生まれ育って来た事を
日々実感しています。

 

古舘君、ど~もです

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月12日(金)12時43分41秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  別にお涙頂戴の文章を書こうと思ったのでは無く、
人も町も、時とともに移り変わる事を実感しただけです。

宮沢賢治の言葉に「上手く返したな」と感じるとは、
少々ひねくれた子供だったのですね?(笑)


30年程前になりますが、奥さんの発案で
外国人のホストファミリーを何回かやりました。

印象に残るのは、ブラスバンドの国際交流で来日した
オーストラリア人の二人の女子高校生。

驚いた事に、二人とも身長は180センチほどで、
体重は100キロ越えと思える立派な体格をしていたので、
我が家の貧弱なベッドに眉をしかめていました。

日本文化を伝えようと、財布の紐をゆるめ、
すきやきを振舞いましたが、生卵を目にした途端
またもやその顔をしかめていました。

文化の違いを痛感しました。

彼女達も今頃は結婚し、子供達が産まれ、
母国で幸せに生活しているのでしょうか?

 

泣ける。でも!

 投稿者:古舘  投稿日:2019年 7月11日(木)23時58分57秒 pb6ab13d9.tkyea128.ap.so-net.ne.jp
  荒井君の話、泣けます。
僕の両親は岩手出身です。今はもうどちらも此の世にはいませんが。
子供の頃、宮沢賢治さんの「雨にも負けず・・・」の暖簾がかかっていたのを覚えています。兄貴はそらで言えるほど覚えていましたが僕はダメでした。
それでも今でも「そいう人に私はなりたい」と思っていますが、今回は別の話をします。
宮沢賢治さんが「人は何のために生きているのか?」という質問に「その答えを見つけるために生きているのです」と答えたという逸話を子供の頃に聞きました。
子供心に「上手く返したな」という印象でした。でも自分も残り時間が少なくなってきた昨今、答え合わせが気になるのです。でも多分その答えを僕は最後まで見つけられないでしょう。
話は変わります。東京都が尖閣列島を「ほにゃらら」という時期がありました。その頃web上では日中国交回復当時の話が再掲されていました。
その中で感銘を受けたのが当時の中国の親分、鄧小平さんの言葉です。
「この難しい問題(領土問題)を解決する知恵を今の私たちは持っていません。ですからこの問題は一旦棚上げにしましょう。(そうして日中国交を果たしましょう)きっと未来の私達より知恵を持つ人達がより良い解決をしてくれるでしょう。」と。
この2つの事から思う事。一般的にというか汎用的にというか「生きる意味」の答えは見付けられませんが「僕が今、そしてこれからも生きていく意味」は見付けたような気がします。
「未来の世代に思いを託す」という事です。思いもそうですが、環境とか社会とか文化とか、受け皿も、ちょっとでも「マシ」なものを残すという事です。
舌足らずな表現で上手く伝わるか解りませんが、僕が今やっている活動はこの思いにベストマッチなのです。
 

バイトの思い出(その7)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月11日(木)18時05分5秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  一巡目の訪問で集金出来たのは100件に満たなかった。
薄くならない領収書の束に苛立ちを感じていた。

二回三回と廻るにつれ在宅状況が分かって来たものの、
学生の都合ではノルマの半分を消化するのがやっとだった。

集金出来なかった分の領収書は、親父さんに戻した。
例のサプライズ女性の集金も親父さんに託した。

親父さん夫婦は専売所近くに家を持っていたが、
専売所の作業場の奥に6畳の和室、さらに奥には炊事場があり、
配達の後、奥さんの作った朝飯を食べる先輩も居た。

その頃、親父さんは身体の具合が悪くなりかけていたようだ。
おそらく、現在の私たちの年頃だったのだと思う。

私が現在の仕事を始めてからも、何度か顔をだした。
住まいのガス器具の調子が悪いと、すぐ電話をくれた。
親父さんも奥さんも変わらず優しく接してくれた。

そのうち段々と親父さんの顔を見ることが少なくなった。
そして20年ほど前にその専売所は閉鎖された。

 

次回の同窓会には、

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 8日(月)16時56分38秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  お孫さんを目に入れてお連れ下さい。

 

ありがとうございます

 投稿者:中村豊藏  投稿日:2019年 7月 8日(月)16時05分32秒 p1179083-ipbf411marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
  荒井君、ありがとうございます。その内わかるでしょうけど、孫は、手放しでほんと、かわいいです。
こんな日常の会話がみんなで出来ればなあと思っています。楽しかった事、苦労した事、経験した人しかわからない
事がきっあると思います。他人には、言えないかなあ?みんなでどっぷり話たいねえ。
 

豊蔵君、ど~もです

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 8日(月)11時38分52秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  奥様とは高一からのお付き合いだったんですか。
20歳で結婚とは早く、ご苦労も多かったでしょうね。

先日の豊蔵君の投稿の中にあった「人に言えない苦労」の言葉、
能天気な私でも、少しは気になっていました。

娘さん達もご縁に恵まれ、豊蔵君もお孫さんに恵まれ、
幸せなおじいちゃんになったようで、私まで嬉しくなります。


 

古舘君、ど~もです

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 8日(月)11時25分9秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  確かに昭和は良い時代だったのかも知れません。

平成は地価高騰やバブル経済に始まり、
パソコンやインターネットの普及に追いまくられ、
人々が変化や情報に踊らされていたように感じます。

今はその思い出の木造アパートは解体され、
広い駐車場を持つセブンイレブンになってます。


>「彼氏へのサプライズ」と推測する所

彼女の両手が前に大きく開かれ、
待ちわびた人を全身で迎えるような姿だったので・・・(゚o゚;サプライズ

 

思い出

 投稿者:中村豊藏  投稿日:2019年 7月 8日(月)10時51分51秒 p1179083-ipbf411marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
  そういえば、高校1年生からイトーヨーカ堂でアルバイトをしていて、そこで知り合った静岡物産展の方に誘われ、土日は、渡辺君と2人、物産のアルバイトで学校を休んだり、早引きしたりして、行っていました。卒業後は、その仕事に付き、関東中のヨーカ堂に2人で任され、走り回っていました。その当時は、あちこち行けて、楽しかったです。そういえば、松本君や仁藤君もお手伝いして頂きました。個人的には、高1から付き合っていた、彼女と20歳の時に、結婚し、40年、女の子が3人生まれ、今では、みんな結婚し、5人の孫に囲まれております。以上今日は、ここまで!  

素敵な思い出ですね

 投稿者:古舘  投稿日:2019年 7月 7日(日)21時08分37秒 p6e42da8b.tkyea128.ap.so-net.ne.jp
  とても素敵な体験でしたね。
「彼氏へのサプライズ」と推測する所は当時から大人だったのですね。
当時の私なら・・・?????ですよ。
昭和は(ある意味)良い時代でしたね。
 

バイトの思い出(その6)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 6日(土)09時51分11秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
  朝刊の配達の際に、人と関わる事はまず無い。
時々飼い犬に絡まれる事があったり、
他の会社の新聞配達人とすれ違うくらいだ。

集金が業務に加わると、町の景色が変わって見えた。
そこには色んな人達が生きていた。

あるアパートの一室のドアをノックした。

そこは木造の古いアパートで、
玄関で靴を脱いで上がると、
廊下の両側にドアが並んでいる。
インターホンやチャイムは無い。

「居留守かな?」
室内に人の気配は感じなかったがそう思った。
間をおいて、もう一度ドアをノックした。

次の瞬間、勢い良くドアが開いた。
そのドアの先に見えたのは、全裸の若い女だった。
呆然とする私の前でドアは閉まっていた。
わずか0.5秒程の事だったと思う。

一瞬目の前に立った女は、一糸纏わぬ姿だった。
何が何だか判らなかったが、綺麗な人だったと思う。
彼女の表情を読み取る時間も、余裕も無かった。

きっと、待ちわびる彼氏へのサプライズだったのだろう。
しかし、ノックしたのは彼氏では無く私だったという落ち。
私にとっても大きなサプライズだった。

 

バイトの思い出(その5)

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 3日(水)15時41分28秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  しばらくして「集金業務」が加わった。
集金は専売所の親父さんの仕事だったが、
私にも任せられると思ってくれた事が嬉しかった。

1件の集金で60円の手間賃、
それが私のバイト代に加わる事になる。
500件の集金が上手く行けば、
手取りは1.5倍の90,000円になると思った。

学校の休みを利用して集金に回った。
しかし、集金は思った以上に手間取った。

当時の朝刊購読料は2,500円だったと記憶する。
集金に行くと不在の家が多かった。
居留守を使われる事も有った。

旦那さんが出てきて
「今、女房が居ないから、また来て」と、
簡単に言われる事も多かった。

当然の事、声に出しては言えないが
「いい歳こいて、奥さんが居ないと新聞代も払えないのか」と、
自分の仕事が下に見られた用に思えて癪に障った。

一言「悪かったねぇ~」と言ってくれれば良いのに、
こんな時には、自分ならそう言おうと思った。

集金と言う仕事は、想像以上に大変だった。
思った以上に領収書の束は減ってくれなかった。

集金が一番大事な仕事だと言う事を、身を持って学んだ。

 

自作スピーカーの話

 投稿者:荒井  投稿日:2019年 7月 1日(月)18時28分33秒 ntsitm317088.sitm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp
編集済
  オタク談義に付いて来られない方には恐縮ですが、
石川君の投稿につられ、私の青春の記憶が蘇りました。

高校2年の夏、当事人気だった「長岡式バックロードホーン」
私もそのスピーカー自作作業に挑戦していました。

私の作ったスピーカーは、もう手元に残って無いけど、
石川君のライブラリーは、是非拝見したいです。

川高正門の坂を下った先の高野材木さんで24mm厚のコンパネを買い、
台車を借りて工作室まで運び、大汗かいて手鋸で切断し組み上げ
コーラルのフルレンジスピーカーで鳴らしました。

そしてこの話は次の連載「文化祭の思い出」に続く予定です。

乞うご期待! なんちゃってネ!

http://blog.ontomo-shop.com/?eid=11

 

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